秘密主義は日本の大企業を殺すか

ベンチャーと大企業のスピードの違いや、日本と中国のスピードの違いを考えていて、久しぶりに思い出した話がある。

何年も前、まだ私が日本のメーカーで働いていた頃の話。

当時、私は若い開発者で、あるプロジェクトにアサインされていた。あの時代、ソフトウェアの時代だということで、色々なメーカーがソフトウェアのサービスをやり始めていた。生まれては消えていった数多のサービスたち。私のいた会社もご他聞にもれずサービスを作り始めた。私はそんなプロジェクトで、コードを書いていた。

こういうメーカー主導のよくわからないサービスは、まぁ大抵の場合鳴かず飛ばずになる。企画が毎年でっちあげる右肩上がりの数字は一度も実現することなく、数年もすると累積赤字が見過ごせないケタになってくる。 必然的に、赤字ばかり出してるのになんでまだやってるんだ、という圧力がかかる。

しかし、不思議な事に、撤退はしないのである。日本の(多くの)大企業では、誰かが始めたことをやめるのはすごく難しい。やめるのが難しいので、「投資のフェーズは終わった。黒字化せよ」という命が下る。しかし、鳴かず飛ばずで年単位を過ごしたサービスの予算を削ったところで、黒字になるわけもなく、満身創痍の事業のどこを削るかという残念な議論が始まる。これは、第二次大戦の拡大した戦線の、どこの部隊の装備を取り上げれば良いかという議論のようなもので、どこを削っても対して結果には影響しない馬鹿げた議論だ。

しかし、まぁ無い袖は触れないので、サービスのある部分がクローズされる事になる。





そんな中、毎週月曜日、朝イチの定例会で私が放った一言が波紋を呼んだ。

「この機能はクローズ予定の○○サービスに関係が強いので、優先度下げた方がいいでしょう」

あとから上司に文句を言われた。 「あの定例会には外注先から参加してるメンバーもいる。今後の契約にも関わるから、そういう話は定例会ではしないように」

もうね、アホかと。馬鹿かと。

プロジェクトの未来、しかも見えている近い未来の状態を隠して、適切な意思決定ができるのかと。 ソフトウェアプロジェクトに置いて、どの機能を優先するかという意思決定はそのサービスの将来を形作る大切なポイントだ。 それを議論する場において、将来像を隠すということはどれだけビジネスに悪影響があるか。

また、外注先にも失礼である。これは、私が甘いのかもしれないが、わかっていることを隠してパートナーと信頼関係が築けるのだろうか?もちろん、交渉では隠すべきところもある。だけど、プロジェクトの一部をドロップする程度のことを隠して何の意味があるのか。

そもそもそんなことをプロジェクトメンバーに言えば、普通のメンバーは萎縮して発言を控えるだろう。口は災いのもと。 「これ言っても大丈夫かな・・・」と心配しながら発言する会議が、まともに機能するわけが無い。 心理的安全性が裸足で逃げていく。





かくして、プロジェクトはジリ貧になるのである。

大企業で出世する、「失言をしない人」「失敗をしない人」ほど、こういうことに長けている。 そういう人が上にいる組織が、事実をあけっぴろげにメンバーに公開し、共有された方針に基づいて進むベンチャーに適うのだろうか? 秘密主義よりもプロジェクトメンバーの意識を一致させることを重視しない限り、ソフトウェアサービスにおいて成功するのは難しいだろう。







企業再生の名著をおいときますね。実話をベースにしたフィクションですが、ドラマのようにことが進みます。でも、サラリーマンとしてはめちゃくちゃリアリティのある話ですね。